東京のすし屋の娘でもある、江戸前寿司伝道師Satomiです。
梅雨の水を飲む魚と言われるイワシ。皆さんは「イワシ」が好きですか?
昔から食べられていたイワシですが、寿司はなかったかもしれません。
今回は、イワシのお話です。
イワシの歴史
イワシは貝塚から骨が複数発見されていることから、すでに縄文時代には食べられていたのではないかと言われています。
奈良・平安時代には、タイやカツオなどと共に、イワシの干物もありました。
イワシは大量に捕れる上に、身分の高い人は口にしなかったと言われているため、安価だったこともあり、庶民の食事のたんぱく源としても広く食され
ていたようです。
江戸時代、イワシは倹約おかず番付にも最も多く登場し、様々な調理法で料理されるほど、親しまれた魚だったようです。
また、大量に取れるため、肥料としても使われていたとも言われています。
なぜ嫌われていた?!
奈良時代や平安時代頃には、イワシは多く獲れる魚で、鮮度が落ちるのも早い為、貴族をはじめとして身分の高い人々は口にするものではないと下魚扱いでした。
イワシの由来
イワシの由来は、下魚扱いだったことから、「いやしい」から「いわし」に転じたという説があります。
また、イワシの稚魚のほとんどが他の魚に食べられてしまうから、早く傷んで鮮度が落ちて弱い魚だから、魚辺に弱いと書いて「鰯(イワシ)」と書くとも言われています。
紫式部はイワシが好きだった?!
平安時代の上流階級には嫌われた食材だったと言われていますが、一説に、紫式部の好物だったともいわれています。「下魚と知りながら何かのきっかけでイワシを食べた紫式部は、そのおいしさが忘れられず、夫である藤原宣孝の留守中に部屋の中でこっそり焼いて食べました。帰宅した夫がイワシの臭いに気付き、咎(とが)められ、紫式部はすぐさま、『日の本に はやらせ給ふ 岩清水 まゐらぬ人は あらじとぞおもふ』(日本ではやっている《いわし》水八幡宮に参らない人がいないように、こんなにおいしいイワシを食べない人などいませんよ)
という歌を詠んで切り返したといわれています。
その話が広まり、宮中の女房言葉でいわしのことを「むらさき」と呼ぶようになったとも言われています。
江戸時代の書物に記されている逸話ですが、別の書物には紫式部ではなく和泉式部の話になっているなど、不確かな部分が多いです。
また、イワシを「むらさき」とよんでいたところから紫式部が連想されて、この逸話が生まれたのかもしれないともいわれています。
イワシの寿司は最近?
イワシは傷みが早いため、昔はあまり寿司では使われず、冷蔵技術や輸送機関の発達で新鮮なまま配送できるようになってから普及したと言われています。
Youtube
参照:イワシ みんなの寿司ワールド(小川洋利)
まとめ
定かではありませんが、才女であった紫式部が好きだったかもしれないイワシ。才能を支えるほど栄養価の高い食べ物でだったかもしれませんね。
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